上用賀便り

スピリチュアルヒーラー寺尾夫美子が綴る/フムアルフートスピリチュアルスクールと上用賀

3.11を振り返る>その1

kamiyogadayori2012-03-05

あの日は、スピリチュアルスクールの受講生のためのインタビューセッションを行う日だった。
午後から数名が順繰りにやって来る。
14時半からは、マスタークラス69期生の順番で、さほみが帰った後、香里がやって来ていた。
香里のインタビューセッションを行っている真っ直中に、急にグラッと来た。
東京ではちょくちょく地震があり、そんなに慌てることでもないと思っていたら、次第に揺れが強くなり始めた。
セッションを中断して、二人で揺れの様子を見ていると、どんどん揺れが強くなってくる。
これは大きいかも知れないから、取りあえず玄関を開けておき、柱のたくさんあるエリアへと移動して暫く待とうとした。
が、更に大きく揺れるので、二人して外に出たら、ご近所の皆さんも外に出ていて、口々に「これは大きいー」と言い合っていた。
お向かいのガラス張りの温室が、ミシミシと音を立ててきしんでいて、屋上に多数置いてある植木鉢の数々がガラガラと転がり始めていた。
一体どれだけの地震か先が見えないまま、強く揺れ続ける地面と建物を見ていた。
家の前のアスファルトは、ひび割れがして開いたり閉じたりしていた。
駐車場の車が、まるでドルフィンみたいにバウンドして、飛び出しそうだった。
お向かいのどなたかが、「震度7だって!」と声を張り上げていた。
震度7っていうと、阪神淡路大震災の規模じゃないですか!?
あれって、高速道路が倒壊したのですよー!?
じゃじゃ、そこまで揺れるのー!!??
と、皆で驚きながら、この先どこまでの被害に繋がるのかおびえながら見ているしかなかった。
しかし、かなり揺れが続いた後、一旦収まるかのように揺れが小さくなった。
先ほど震度7を伝えてくれたお向かいの人が、「震源地を東北だって!」と教えてくれて、東京は離れているので、建物が倒壊するまでにはいたらないだろうと思え、少し落ち着いた。
恐らく余震が来るので、この後もし家に入れなくなるといけないから、香里と二人で大急ぎで中に入り、香里は自分の持ち物をすべて持ち、私はヘルメットを被ってコートを着て、再び外に出た。
余震は止まることなく、小さく大きく、ずっと揺れ続けていて、とても怖い思いをした。
そろそろ揺れが収まってくると、ご近所の皆さんも、家に入っていったので、私も入ることにした。
インタビューセッションが中断された香里とは、外で終わりの挨拶をして、別れることにしたが、交通手段が大丈夫かと聞くと、歩いても帰れる距離なので心配ないとのことだった。
さて、この後の予定だった綾子は、どこでどうしているのか?
心配だったが、近くまで来ていればやって来るし、帰ることができたらそうしているだろうと思った。
連絡するにも、電話はまったく繋がらず、ことの次第を待つしかなかった。
自宅に入ると、ハーブティの入ったティーポットが床に転げ、絨毯がびしょびしょになっていた。
雑巾で拭き取りながら、更に続く小さな余震にびくびくしながら片付けていた。
こんなとき、何をどうしていいか分からないものだな〜と、心のどこかで客観視しながらも、またいつ揺れるか分からない不安でいっぱいだったと思う。
それでも、転がっている物をいくらか片付けると、落ち着いてきて、そろそろメールチェックでもしようかと仕事部屋に入ろうとすると、ドアが開かなくなっていることに気づいた。
2〜3センチ程開いた隙間から中を見ると、本やら書類やらが散らばっていて、何がドアを阻んでいるのかさっぱり分からなかった。
打ち合わせに出かけている夫は大丈夫なのか?
一応透視でチェック。まったく心配ないことが分かる。
そう思うやいなや、電話のベルが鳴り、出てみると夫の実家である岐阜の義母からの電話だった。
夫が私に無事を知らせようとしたらしいけれど、何をしても繋がらず、持っていたアイパッドスカイプすると、岐阜には繋がったらしい。
それで、岐阜から東京へなら電話が繋がるだろうと考え、義母にかけさせていたのだった。
電話の向こうで、スカイプで繋がったままの夫の元気な声が聞こえた。
無事だから、これから歩いて帰るとのこと。
恵比寿に行っていたけれど、既に渋谷まで来ているらしい。
総ての電車が止まり、バスには超長蛇の列、人でごった返していて身動き取れない状態らしい。
とにかく、人の少ないところを探して、用賀に向かって歩いているとのことだった。
おおよそ、2時間くらいで帰れると思う・・・と言う言葉を聞いて、やっと安心した。
再び外に出てみると、家の周りで何かしているお隣さんがいて、聞くと、ガスの元締めがロックされているのを解除しているとのことだった。
なるほど、強烈な地震が起こると、ガス栓にロックがかかって漏れ出さないように設計されているのだとか。知らなかった。
お隣のご主人は、1級建築士で、家の設計のプロだった。
ガスの栓が閉まっていることを確認して、「うん、きちんと動作している」と安心していた。
家のガス栓も開けてくれて、「これでガスが使えるからね」と優しい言葉をかけてくれた。
そんなご近所の親切に、こんなとき、本当に癒されるな〜としみじみ感謝した。
それで、部屋のドアが開かないことを伝えると、「窓を割って入るしかないかな〜」と言われ、窓を割ると後で修復が大変か・・・と困惑し決断できなかった。
取りあえず夫が帰宅したら相談するとお断りして家に戻り、あちこちに散らばっている物を無計画に片付けていた。
まったく、こういうときは、本当に何をどうしたらいいのか、サッパリ思いつきもしない。
テレビを付け、ニュースに耳を傾けるしかなかった。
いったい、どれだけの被害があるのか。
次々に知らされる情報に、驚きと哀しみでいっぱいになり、またあの時の神戸のような地域があるのかと、不安にさいなまれた。
しかし、余震はひっきりなしに起こり、その都度、さっきみたいな大きな揺れが来るのかも・・・と不安になり、家がつぶれる恐怖もあって、外に出たり入ったりを繰り返していた。
お隣の奥さんが、「今夜は服を着て寝るのよ!」と教えてくれて、なるほど、すぐに飛び出せるようにしておくのだな〜と、災害対策をひとつ覚えた。
ようやく夫が帰宅し、仕事部屋の様子を伝えると、真っ暗になった部屋を、携帯電話を挟み込んで写真を撮って確認している。
どうやら本棚が倒壊しているようだった。
ドアの隙間から、散らばっている本を少しずつ取り出していくと、だんだんドアが開き始めた。
更に続けると、とうとうドアが開き、入ってみると大惨事が起こっていたのだ。
壁際に立ててあった本棚が、耐震用の突っ張りをものともせず、斜めに壊れて床に落ちていたのだった。
本棚の中間が、左右のボードだけではしご形になっていたことが、強度を弱くしていたのだと分かった。
簡単な夕食を済ませた後、ひと息ついていると、今日のセッションに来ていたさほみから電話が入った。
あの後、用賀駅で地震にあい、あれからずっと駅で電車の復旧を待っていたらしい。
しかし、とうとう今日中の復旧は無理と分かり、駅前のホテルなどに宿泊をしようとしたが満室で、途方に暮れて電話してきたのだった。
食事は駅ビルのコンビニやレストランが営業を続けていたので摂れたとこのとで、安心したが、とにかく今日は家に泊まりなさいと伝えた。
どれだけ不安だったろうかと心配したが、駅には同じような人がたくさんいたので不安はなかったらしい。
程なくしてさほみがやって来て、温かいお茶を入れてあげると安心したようだった。
とにかく無事で良かった。
さほみにテレビを見せておいて、私達は、夕食の後も、せっせと仕事部屋の片付けを続けた。
ようやく足を踏み入れられる程度に片付いたのは、夜の10時を過ぎてから。
メールをチェックしたら、綾子を始め、今日のインタビューセッション予定の面々からの連絡が入っていた。
みんな、ちゃんと、揺れてすぐくらいのタイミングでメールを入れてくれていたのだった。
みんなに返事のメールを入れて、ことの次第を伝え、スクール専用サイトから、みんなの安否確認を行った。
皆、続々と連絡を入れてくれて、無事であることが分かった。
仙台の奈々恵から、コメントが入らない。
みんな、もの凄く心配して、携帯メールを送ったり色々していたが返事がなく・・・。
ただただ、待つしかなかった。
ここから、私達は、クラスのメンバーとの連絡、週末の開講の変更、個人セッションの皆さんとの連絡など、災害対策に忙殺されることになる。
このとき、福島のことは、まだ、まったく知るよしもないのだった。





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フムアルフート:スピリチュアルスクール主催

ヒーリング体験会:3月18日(日)14:00〜16:00 受付中

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■魂の転生を語る寺尾夫美子の最新著書 2010年1月9日刊行 
「オーラレッスン」〜魂の目的を生きるために〜  (河出書房新社
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■スピリチュアルメッセージ from 夫美子 スピリチュアルな成長を求める総ての人へ
 http://d.hatena.ne.jp/fumalhut7/
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